「あなたたち、ちょっとこっちへ来なさい」 腕を組み、仁王のように立ちはだかるとてつもなく巨大な影。実際に身長も高かったが、 彼女がそれほどに大きく見えたのは、その威圧感ゆえだったろう。 聖女騎士団において、団長を除き彼女に説教を受けたことのない者はいないとさえ言われている。 とにかくすべての団員から怖れられている存在。 彼女の名は、アマリア・エーゼンバッハ。聖女騎士団第一騎士隊隊長である。 常に眉ひとつ動かさず、淡々とした口調で、しかし不正や怠惰を一切見逃すことのない彼女を 人はこう呼んだ。―――氷の女王、と(または「お局さま」とも呼ばれていた)。 それゆえに彼女は、あまり人から好かれるということはなかった。むしろ煙たがられていたと 言ってもいい。それについて彼女は理解していないわけではなったが、人に好かれるために 自らの信念や行動を変えるつもりはなかった。「氷の女王」の名も誇りと思っていたのだった。 「あう…アマリアねーちゃん」 「う…わかりましたわ…」 今回その氷の女王の餌食となったのは、聖女騎士団長、シエラ・レンスターの従卒たる マウナキア・アグストリア、リフィル・ミルディンの両名であった。 「ねーちゃんではありません、隊長とお呼びなさい」 「は、はいっ!」 淡々として落ち着いた中にも独特の凄みを含んだその声を耳にして、逆らえるものは団内には 誰もいなかった。天真爛漫、怖いもの知らずな子どもたちといえどそれは同じだった。 「ふえ~、やっと終わったぁ…」 「ああ…もうフラフラですわ…」 かれこれ2時間ほどは経っただろうか。永遠とも思われたお説教の時間を何とか耐え切り、 ようやく2人は解放された。 「これに懲りたらあなたたちももう少し慎みというものを…何ですか?」 真っ直ぐに自分を見据える視線に気づいて、アマリアは少しうろたえながら問うた。 それに、マウナキアは満面の笑みで答える。 「アマリアねーちゃんってさ…ちゃんとあたしたちのこと見てくれてるんだね」 「まあ確かに、そうでなければこんなにお説教のネタも出て来ないですわね」 リフィルもまたちょっと照れくさそうに笑いながらそれを肯定した。 「んな…何を言ってるんですか!馬鹿なこと言ってないでさっさと自分の部屋にお戻りなさい!」 2人の思いがけない態度に慌てたように、アマリアは語気を荒げたが、その顔は明らかに紅潮していた。 「は~い!」 これ以上お説教を食らってはたまらんとばかりに、2人は尻尾を巻いて部屋を後にした。しかし、 マウナキアが部屋の入口で振り返って言った。 「他の人が何て言っても、あたしたちはねーちゃんのこと、大好きだからねっ!じゃ、おやすみ!」 「…隊長とお呼びなさいと言ってるのに…あの子はもう…」 などと怒りながらも、アマリアはまんざらでもなさそうだった。その証拠に、頬は相変わらず赤い。 「あの子達は…随分とお母様方に似てきたわね…」 アマリアは、彼女たちにその母親の面影を見ていた。マウナキアの母、エリーゼ・アグストリア、 リフィルの母、セシリア・ミルディン。かつての戦いで英雄と呼ばれた6人の中で、中核をなした2人。 肉体的にも精神的にも、まだまだ娘たちはその母たちに遠く及ばなかったが、その戦いぶりや、言葉の 端々から、確かにその血を受け継いでいることを感じさせた。 実は先の大戦のおり、まだ子どもだったアマリアは、エリーゼとセシリアの2人に命を救われたことが あった。聖女騎士を多く輩出する名門の出ということもあったが、彼女が聖女騎士を志した理由は、 その2人に憧れたからだったのだ。 だからこそ、彼女にはその娘たちには立派な聖女騎士になってもらいたいという思いが強くあった。 それだけに、2人が日々成長してきていることが嬉しかった。そして、自分を理解してくれていることも。 ある時、東部でいくつかの小さな村々が壊滅的な被害をうけるという事件が発生した。 それがどうやら十二神王の放ったクリーチャーの仕業であるらしい。となれば、クロスナイツの出番となる。 マウナキア、リフィル、アマリア、ジャッキー、イレーネの5人は東部へ向けて出撃した。 最後に被害を受けた村で地図を広げ、5人は状況を分析していた。 「どうやら敵さん、適当に街道を歩いて見つけた町や村を手当たり次第潰して行ってるみたいだねぇ」 敵に関する情報は、パルミラ全土に目を光らせる聖女騎士団諜報部を統括する、第十騎士隊の副隊長でもある ジャッキーからもたらされる。 「なるほど…この村からは道が4つ出ていますね。敵がどこへ向かったかわかりますか?」 アマリアの質問にジャッキーは肩をすくめる。 「いや、それが…昨日このあたりでは雨が振って、足跡が消えてるんだよねぇ…しかもどこを探しても 見つからないんだってさ」 「それじゃ次はどこに来るか予想できないじゃん」 マウナキアが口を挟む。 「でもこれまでも必ず隣接の村を潰して行ってるようだから、恐らくこの4つの道の先のどこかへ 向かったんだろうねぇ。まあ、移動のペース自体はさほど早くないようだから、まだそう遠くには行って ないと思うよ~」 「……」 アマリアは地図を睨みながらしばらく考え込んでいたが、やがて何かを決意したように顔を上げて 残りの4人を見据えた。 「敵がどこに現れるか分からない以上、ここは手分けして先回りしましょう。私は北の道を、 ジャッキーは西へ、イレーネは東、マウナキアとリフィルは南へ向かって下さい」 4人は互いに顔を見合わせ、うなづく。 「りょ~かい。戦力が分散されるのはつらいけど、しゃあないね」 「ふ…私はむしろ一人の方がいいから、何の依存もないわ」 「うん、わかった!」 「では、敵を発見次第連絡、残りの者はそこへ駆けつける、ということですわね」 方針は決まった。あとは全力を以って敵を殲滅するだけだ。 「敵を発見しても、決して一人で戦わないように。救援を待つこと、いいですね。…では、作戦開始!」 かくして飛竜にまたがり、5人はそれぞれの道へと分かれた。 「誰か来る!」 遠くに何者かの人影を視認し、アマリアは愛用のハルベルトを構えた。しかし、その警戒はすぐに 解かれた。 「マウナキアにリフィル…?何故ここに?」 それは良く見慣れた二つのシルエットだった。 「いや、敵はもうあたしたちだけで倒しちゃったからさ」 「ええ、全くお話にならない相手でしたわ」 「そう…ですか」 敵を見つけたら自分たちだけ戦わずにすぐ連絡を、ときつく申し付けてあったはずなのに、 守らなかったのか。結果勝ったからよかったものの、万が一のことがあればどうするのか… あとでたっぷり説教しなければ、と考えながらも、2人の成長ぶりを頼もしく思うアマリア。 しかし彼女が他の二人に連絡しようとマウナキアたちに背を向けた瞬間、信じられない事態が起こった。 |
「な…何を…っ!!」 咄嗟にマウナキアを蹴り飛ばし、背中から腹に突き刺さった刀を抜いてアマリアは叫んだ。 「あなた…何者です!?マウナキアではありませんね…」 アマリアに蹴られた相手の顔面がぐにゃりと歪んでいた。それはあきらかに、人間とは思われなかった。 「くく、くはは、気づくの遅すぎ~」 ぐにゃぐにゃと奇妙な動きを繰り返しながら、歪んだ顔が元に戻っていく。 「変身能力…というわけですか…ぐっ…」 急所は外したものの、かなりの重傷には違いない。激痛がアマリアの体を駆ける。 「その能力でこれまで、探索の手を逃れていたということですか…」 「その通り~。虫に化けてゆっくり進んでたんだよん♪」 ぐにゃりとまたしても顔を歪ませてマウナキアもどきがあざ笑う。 「わかったら死んどきなよ!!」 そこへ、背後からリフィルもどきが双剣を抜き放ち手負いのアマリア目がけて襲い掛かった。 「ぎゃはっ!?」 しかし、そこはさすがに最精鋭部隊たる第一騎士隊の隊長を務めるほどの実力者、手にしたハルベルトを 一閃させると、リフィルもどきの胴体を真っ二つにした。 「げはっ、ごふっ…」 「……っ」 両断され悶えるリフィルもどきを一瞥したアマリアは、何とも言えない嫌な気分になった。 偽者と分かっているとはいえ、自分が大切に思っている者の姿をした相手を斬るというのは、想像以上に 心を苛まれることだった。 「くっ…イクイップ!」 迷いを振り払うようにアマリアはハルベルトに魔力を込める。すると、突如足元から凍り始め、 全身が凍りつけになったかと思うと、その氷が割れ、中からは青い衣をまとった戦士が現れた。 「ブリザ・ヴェスパ…行きます!」 アマリアのハルベルトが唸りをあげる。マウナキアもどきは何とか必死にその凄まじい攻撃をすべて よけるが、それも長くは続きそうもないのは明らかだった。要は、2人の実力には大きな隔たりがあるのだ。 この2人のクリーチャー、変身能力こそ持っているが戦闘能力に関してはさほど高くないようだった。 しかし、アマリアは焦っていた。普段ならどんな弱い相手でも、何らかの力を隠していることを警戒して 最初から全力で戦ったりはしない。氷の女王の通り名の通り冷静沈着な戦い方が彼女のスタイルだった。 その彼女をして普段取らない行動に走らせている要因は、ひとえに先ほど不覚にも受けてしまった、背中から 腹部へと貫通した傷であった。血が止め処もなくあふれ出しているのがわかる。スーツの腹部にもそのシミが 浮かび上がっているのが見える。すでに手足が震えてきている。目も霞んでき始めている。 致命傷は避けられたとはいえ、相当の深手だ。戦いの最中に止血など悠長にさせてくれるはずもない以上、 できるだけ早く決着を付けなくてはならない。ここには自分ひとりしかいないのだ。 そして仲間の助けを待つだけの猶予が、彼女に残されていないことをその激痛が教えてくれていた。 「うああっ!」 器用にもアマリアの猛攻をかわし続けていたマウナキアもどきであったが、とうとう避けきれなくなり 足を取られて派手に転んでしまった。そこへすかさずアマリアが走りより、トドメを刺そうと武器を振り上げた。 「やだっ、助けて…っ!!」 「…っ!!」 マウナキアもどきが咄嗟に行った涙顔の命ごいに、アマリアは一瞬躊躇してしまった。それが彼女の命取りと なってしまった。 「あぐっ…!!?」 その瞬間、両脇腹に鋭い痛みが走った。 「くっ…あなた、生きていたの…!?」 胴体を真っ二つに切断したはずのリフィルもどきが、いつの間にか体をもとに戻し、その双剣でアマリアの体を 切り裂いたのだった。貫かれることはなんとか避けられたが、双剣ががっちりと肉に食らいこみ、身動きが取れない。 無理に動こうとすればさらに深く肉体を引き裂かれ、鮮血が迸る。しかし、それだけでは終わらなかった。 「あ…っ…ち、力が…抜け…?」 先ほどからすでに多量の出血により徐々に体中の力が抜けてきてはいた。だが、それは余りにも急激で唐突な 脱力感だった。これは明らかに、出血によるものとは違う。 「く…一体…何をした…の…?」 背後のリフィルもどきがニタリと顔を歪めて嗤う。その模した元の顔がまるで人形のように端正である分だけ、 そのひずんだ顔はより醜悪でおぞましいものに感じられた。 「あたしたちの力が変身だけと思ったら、大間違いさね…アヒャヒャヒャ!!」 「そうだよう…これは相手の力を吸収する能力さぁ…ゲヒャヒャ!!」 先ほどまで涙を浮かべていたはずのマウナキアもどきもまた、相方に負けず劣らず邪悪で見る者が総毛立つような 笑みを見せる。 「う、ううっ…く…そ…っ」 あのとき、躊躇わずマウナキアもどきにトドメを刺せていれば。その躊躇が感覚を鈍らせ、背後の敵に気づくのを 遅らせた。その結果がこれだ…偽者と分かっていながら、大切に思う者の姿をした敵を、殺すことが出来なかった。 何という甘さか。氷の女王が聞いて呆れる。私はこんなにも弱かったのか…。 アマリアは自嘲して空を見上げた。すでに力はほとんど失われ、立っていることすら容易ではない。 加えて最初に負った傷からの出血が、意識をさらに遠のかせる。脇腹に刺さった剣を外してこの危機を脱することなど、 すでに不可能なのは明白だった。 そこへトドメとばかりにマウナキアもどきの刀がアマリアの胸を貫く。 |
「うぐっ…!!」 そのままアマリアは力弱くその場に崩れ落ちた。 もはや、これまでか… アマリアは死を覚悟した。 だが、彼女の生も、またその責め苦もまだこれでは終わらなかった。 「まだまだお楽しみはこれからだよ~ん」 グネグネと、顔だけでなく全身を、人間にはありえないようなやり方で曲げたり伸ばしたりしながら、マウナキア もどきは倒れ臥して死に瀕するアマリアの体を抱え起こし、正座の姿勢を取らせた。そして無理矢理にその 顔を覆っている蜂を模した仮面を剥ぎ取った。 「あ…あぐう…」 そのやり方が酷く乱暴だったため、傷口からは余計に血が噴出し、アマリアはその激烈な苦痛に顔を歪めた。 「知ってるぅ?東の方の大陸にはぁ、罪人に自分から腹を斬らせる刑ってのがあるらしいよぉ~」 「な、何を…」 正座をさせられたアマリアの背後に自らも座ったマウナキアもどきは、切っ先をアマリアの腹に向けて刀を構えた。 「ちょっと長くてやりにくいなぁ…よ~し!」 もどきが声をかけるが早いか、その手の刀はスルスルと縮んでいき、脇差大の長さとなった。 「これでよし、じゃ、行ってみよっかっ☆」 「げふっ!?」 何の躊躇も、タメも、間も一切なく、いきなりアマリアの腹部を脇差で貫くマウナキアもどき。 「う、うぐぁ…あっあっ…!」 もどきの脇差が、アマリアの腹を真一文字に切り裂いてゆく。ぱっくりと口をあけた彼女の体からは、 毒々しいまでに鮮やかな血とともに、はらわたまでもがこぼれ出てきてしまっていた。 「あ…ああ…あっ…!」 これまで何度も死線を超えてきたアマリアは、その都度さまざまな苦痛を味わわされてきたが、これほどのものは かつて一度も出会ったことがなかった。余りの痛みで最早叫ぶこともままならない。 「人間ってさ、結構丈夫にできてるんだよねぇ」 さきほどよりさらに邪悪さを増したような不気味な笑みを浮かべ、マウナキアもどきはアマリアの耳元でささやいた。 「しかもあんたらは普通の人間よりよほど生命力が強いから、多分この状態でも1日くらいはもつんじゃない?」 「げ…ふっ…ごほ…っ!」 マウナキアもどきが、さも愉快そうに傷口からのぞくアマリアの腹の中へと手を入れてゆっくりとまさぐる。 その度にアマリアの身体はビクビクっと痙攣し、声にならない声が漏れる。 「うふふ…そういうことだからぁ…これから、あんたが事切れるまで、ずっと横で見ててやるよぉん… ゲヒャヒャヒャヒャ…!!」 それからおおよそ30時間ほどのながきにわたり、アマリアはその下品で邪悪な笑い声を聞かせられながら 絶命できずに生き続けた。 異変を察知し駆けつけた仲間たちが彼女の亡骸を見つけたのはそれからすぐのことだった… |
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