「今回はちょっと趣向を凝らした呪いを用意してみましたが、いかがでしょうか?」
美しい、しかしどこか機械的で不気味な声が、何もない空間に響く。
虚空から突然現れ伸びている無数の鋼線。それに戒められ、一切の身動きを封じられて
向かい合わせに立たされた二人の全裸の女。
女達の相貌はとてもよく似通っていた。一人は若く、その一人の顔に年齢を加えれば
こういう顔になるだろうと想像できるのがもう一人の女。二人は母娘だった。
「アスクラヴィス!ママをっ…ママを放せぇっ!!」
母の身には鋼線がその身を引きちぎらんばかりに強く強く食い込んでいた。
まるでボンレスハムのようになった熟れた肉から大量の血が迸り出る。
鼻はフックで吊られて、また大きな球状の猿轡をかまされとことんまで醜く歪まされて
あまりにも屈辱的だ。娘にとって、その母の様子を見るのは自分の身を切られる以上の
最悪の苦痛であった。まるで獅子吼のように激しく、娘が母の背後に向かって
雄たけびを上げる。
母の背後には、また一人の女が立っていた。
顔を半分仮面で隠し、腕や脚、首などに肉体をつなぎ合わせた縫い目がある。
そして、その縫い目では肌の色が白と黒にはっきりと分かたれていた。それはまるで
全く別人の身体を無理矢理つなげて一人の人間としているかのような不気味な姿だった。
その不気味な女の名はアスクラヴィス。呪いを司る邪悪なる女神。
「まあまあ、ちょっとお聞きなさいよ。折角面白いことになってるんですから」
カラカラ、と女神は乾いた笑い声を上げながら上機嫌に応じる。その様子がなお一層
底知れぬ異様さを感じさせる。仮面の無い半分の顔だけを見れば、かなりの美貌と
いえなくも無い。その肢体もまた均整が取れて美しいといえた。にも、かかわらず。
彼女からは嫌悪、ただそれしか沸いてこないのだ。お願いだから近寄らないで欲しい。
笑いかけないでくれ。声を聞かせないでもらいたい。恐らく彼女に出会えば
すべての人間がそう思うだろう。きっと邪神たる十二神王のなかにあってさえ、
邪悪という点において彼女の右に出るものはいなかっただろう。
「ふぐ…うううぅ…!」
そのとき、母の方がうめき声を上げた。ガガガガガ…と凄まじいまでの歯鳴りの
音を立ててまるで痙攣のように身体を震わせている。
その空間は極寒だった。
しかしただの極寒ではない。
「これね…宇宙空間と同じ温度なんですよ。とんでもない低温です」
女神はまたしてもカラカラ…と不気味に、邪悪に笑う、いや嗤う。
宇宙空間と同じ温度…絶対温度3度。すなわち摂氏マイナス270度。人間に耐えられない
どころの話ではない。最早原子レベルで活動を停止する、それはそんな温度だった。
聖女騎士は基本、魔力によって体温調節や表皮の防護を行える。並の聖女騎士でもおそらく
100度の熱湯に浸かることができるだろうし、マイナス50度くらいならなんとか耐えることが
できるはずだ。ましてこの母・エリーゼは人類最大最強といえるほどの魔力量、強度を持つ
存在である。その耐久性は並の聖女騎士の比ではなかっただろう。
だがしかし、その彼女をしてもこれはあまりに次元が違う寒さであった。体中の全魔力を
ひたすら防寒のために回してもまるで追いつかない。手足の先の感覚などとうに無い。
もしミスリルメイルがあれば何とかなったかもしれない。だが彼女は今一糸纏わぬ
生まれたままの姿であった。これではどうにもなりようがなかった。
「マ、ママ…?どうしたの…?」
娘、マウナキアが不安に耐えかねて母に声をかける。そんな彼女の身体からは一切の震えは
発されていなかった。多少息は白いようだがそれほど寒がっている様子もない。
むしろ異常に震えている母をいぶかしんでいる様子だ。そこへ女神が機械的な声で口を挟む。
「だから、これが今回の呪いですよ」
仮面で隠れていない、右の目と口の右半分が三日月形に歪む。その様子に言い知れぬおぞましさを
感じているマウナキアを無視するように、女神は母娘を縛る糸を指差して言った。
「あなた達二人は今、この糸で繋がっています。私の呪いによってね」
「呪い…繋がってる…?」
「そう、これは痛みと寒さとをこの糸を通して分け合う、そんな呪いなのです」
「痛みと…寒さ…?」
どんどん気持ち悪さを増していく女神の顔を直視しきれず、少し目を逸らしながらマウナキアが
疑問を口にする。自らは痛みも寒さもまるで感じていないからだ。
「ええ、痛みとはご覧のとおり、この糸の締め付けの強さですね。そして寒さですが、これは
別にこの空間が寒いというわけではないんです。体感温度とでも言いますか。寒く感じている
だけ、ってことですね。幻術の類に近いでしょうか」
もっとも、と彼女はとびっきりのまぶしい笑顔で(ただし他人が見たら卒倒するおぞましさで)
付け加える。
「何と言っても神の呪いですから、精神的なものでも本当に凍死しちゃいますけどね☆」
全身の毛穴という毛穴から毛虫が這って出てくるかというような想像を絶するおぞ気を
感じながらも、マウナキアは何とかそれを耐えて、かろうじて言葉をつむぐ。
「分け合うって…じゃあなんであたしは何ともないんだ…?何でママばっかり…!」
女神はさらに笑顔の輝きを増す。
「それは勿論、全部あなたのママが引き受けてくれているからですよ」
「え…?」
マウナキアは呆然と母を見る。
グギゴキ…と骨が悲鳴を上げているのが聞こえる。その締め付けは締め付けというより
圧搾という感じだった。血が絞り取られ、肉も骨も砕かれていく。
人類最強の魔力でどれだけ防御しようとも、神の呪いは無慈悲にその身を裂き、
また凍えさせる。
「二人で均等に分け合えば多分、かなり辛いでしょうがそこまでひどいことにはならないはずなんですが」
カラカラ…とまたあの不気味な笑い声が耳にこびりつく。
「これが母親というものなんでしょうか。その人、あなたが少しでも辛い目に遭うのがとことん嫌
みたいですねぇ」
マウナキアは顔面蒼白になり必死に糸に魔力をこめる。分け合う呪い、という言葉からして自分が
引き受ければ母の苦痛を少しでも和らげることができるはずだ。
「ママ、何で…!?」
しかし、それをエリーゼは許さなかった。魔力の量も、それを扱う技術も母と娘では天地の差があったが
故に、いくらマウナキアが必死になってもエリーゼにはそれを簡単に止めることができてしまうのだ。
「んふ…おほぉ…」
涙と涎、鼻水でぐちゃぐちゃなあまりに無様で醜い顔だったが、それでも母は娘に笑いかけた。
それは娘を想う母の心だった。
だがそれが、娘にとってはこれ以上はありえないほどの苦痛となった。誰よりも何よりも愛する母が
自分のために傷ついていく。それをただ見ていることしか出来ない。
マウナキアはただただ泣き叫んだ。
「やめてーっ!!ママ!お願い、お願いだから…!!」
「ママ…ママぁ…!」

そして、女神は嗤う。
その凄惨なる光景を微笑ましく見つめながら。

「うふふ、いいですねぇ、美しいですねぇ、親子の愛って…」










戻る