「あれ?どこ行くのジャッキーちゃん?」
「んん〜?ああ、マウたん」
 声をかけるとクルクルと回りながら近づいてくる。相変わらず変な子だなー、とマウナキアは思う。
ジャッキーの方が4つ年上だが、あまりそういう感じはしない。
 エリーゼの娘とデュランの弟子、ということで幼い頃から親しくつきあっていた。
周囲からしたら姉妹みたいな関係に映るのかもしれないが、自分からしたら同年代の友達というのと
変わらない感覚だった。
 初めて会ったのは9歳くらいの頃だったか。その頃の彼女は今のように珍妙な言動や行動はしていなかった
様に思う。むしろほとんど言葉を発さないような少女だったと記憶している。
彼女が赤子の頃に暗殺組織にさらわれ、暗殺者として育て上げられて働かされていた、と知ったのは
知り合って随分経ったころだったが、あの頃の彼女の雰囲気はまさにそういう感じだったのだろうと今にして
思う。今の彼女が、暗殺者の仮面に隠されていた本来の性格なのか酷い育ち方の単なる反動なのかは
わかりようもないが、ただ一つ、マウナキアにも言えることがある。それは、彼女はこの奇妙な友人が
大好きだ、ということだった。マウナキアは基本、難しいことはあまり考えない。どこまでも単純で純粋。
そんなマウナキアを、ジャッキーも愛していた。
「そっちは飛竜の係留所でしょ?こんな夜中にどっか行くの?」
 既に深夜となり、聖女王ゼノビアへの就寝の挨拶も済ませ、シエラとリフィルとともに聖女王殿のほど近いところに
建つ聖女騎士団長の官邸へと帰るところだったマウナキアは、不意に尿意をもよおしたために、用を足すべく二人と
別れてトイレを目指していたところ、ジャッキーに出くわしたのだった。
 当のジャッキーは猫みたいな口で笑いながら、手がすっぽり隠れる、やたらと長い袖でマウナキアをバシバシ叩きながら
答える。
「にゃはは、あたしも何せ十番の副隊長だしにゃー、そりゃま、色々と忙しいのさっ」
 十番、とは第十騎士隊のこと。少し長いので、聖女騎士団の仲間内では一番〜十番などと呼んでいた。
その十番、第十騎士隊は主に諜報活動をその任務とする。かつて名うてのアサシンと恐れられた彼女にはまさに
うってつけの職務であり、入隊後トントン拍子で今の地位まで上り詰めていた。
「ああ、そっか〜」
 マウナキアは単純だ。そう言われれば特に疑うようなことはしない。これがリフィルやイレーネあたりだと
明らかな疑いの眼差しを向けられるんだろうな…などとジャッキーは考えた。本当にかわいい子だと思う。
マウナキアには同年代のように思われている様だが、ジャッキーとしては妹のように思っていた。
リフィルはマウナキアと違って腹黒いがそれはそれでかわいい妹のように思っていたし、お堅いアマリアも
口が悪くて協調性のないイレーネも、姉のように慕っていた。みんな、みんな大好きだった。
 (だから絶対…あたしが守る…!)
 元気に手を振って見送ってくれるマウナキアを背に、ジャッキーは飛竜を駆って空へ飛び立った。
 
 
 「あれ、か…」
 上空からでもそれとわかる。濃い…濃すぎるほど濃い瘴気を放ちながらのそりとのそりと歩く異形の化け物。
それの通った後には、朽ちた草花が延々と続いている。大地を腐らせる、禍々しく呪われた存在。
 ジャッキーやマウナキアたち、新生クロスナイツがこれまで戦ってきたのは、十二神王が作り出した、
被造物(クリーチャー)と呼ばれる存在である。被造物は、自分が戦う以外興味のない、最上位の三神たる
”闘王”ファフニル、”魔王”ウーニー、”翼王”ゼフル以外がそれぞれめいめいに作り出し放って来ていた。
その強さや容貌は大体において似たり寄ったりであったが、唯一、”呪王”アスクラヴィスの作り出すそれだけは、
明らかに、まさに文字通り「規格外」と呼べるような代物であった。
 特別に”カーズド”と名づけられたそれは、しかしほとんど聖女騎士団内でも知られていなかった。
知っていたのはただ、諜報部隊である第十騎士隊のみ。クロスナイツでさえもその存在を知らされていなかったのだ。
 「うぐ…っ!」
 両の腕がズキズキとうずく。背中が焼ける様に痛む。
 「やっばいなぁ…そろそろ隠すのも限界…かなぁ」
 最初のころは、気のせいかと思っていた。右の上腕部にできた、小さな黒い染みのようなもの。ただの染みに
すぎなかったそれが、次第にチクチクと小さな痛みを放つようになった。そして少しづつ、染みは広がっていった。
3日ほどで、それは一つの文様を形作り、激痛をもたらすようになった。疑念はあったが、そのあたりで
それは確信に変わった。
 あれを、殺したからだ。
 被造物が暴れているとの報を受け、クロスナイツがまさに出撃しようとしていたそのとき、部下である第十騎士隊の
騎士からジャッキーへ、別の場所の被造物の情報がもたらされた。仕方なく一人でそちらへ向かったジャッキーは、
そこで、それに出会った。出会ってしまった。
 これまで戦ってきたものも、異形の化け物には違いなかった。が、それは次元が違っていた。ただその姿を見ただけで、
戦おうという気などカケラも持っていられなくなるほどに、それは醜悪で、不気味で、禍々しいものであった。
見ただけで確信できた。これはあの”呪王”の作ったものだと。
 戦いは熾烈を極めた。それは、これまで戦って来たどの被造物よりも圧倒的に強く、ジャッキーはまさに殺される寸前と
いうところまで追い詰められたが、辛くもそれを斬ったそのときだった。一瞬、全身に電流が走ったような感覚があった。
そのときには何事かわからなかったが、後で思い至ったのは、恐らくそのとき、彼女は…呪いをかけられたのだ。
 ”呪王”製を殺せば、呪われる。その段階では確証はなかったが、念のためジャッキーは第十騎士隊内で緘口令を布いた。
他の誰かを、それらと戦わせぬために。
 その後、数度のそれらとの死闘の果てにジャッキーは自らの考えを、自らの身を持って証明することとなった。
徐々に増えていく身体の黒い文様。段々増していく痛み。そして彼女はそれらを”カーズド”と名づけ、他の仲間達には
一切知らせず、既に呪われてしまっている自分だけが、カーズドと戦って倒し、その呪いを引き受けることとした。
 だが、他の被造物とは別次元の強さを持つカーズドと一人で戦うことは、あまりにも苦しすぎる茨の道であった。
毎回窮地の連続であったし、それらは異常なほどの性欲を持っているらしく、犯されなかったことはない。
死ぬほどの重傷を負ったことも一度や二度ではなかった。それでも何とか勝利した後に待っているものは、断末魔の呪い。
痛みは常にあるわけではなかったが、たまに発作のように襲ってくるそれはすでに余人の想像を絶するほどのものに
なっており、このところろくに睡眠も取れていないような有様であった。
 人の目があるところでは、声一つ漏らさず、眉一つ動かさずに激痛に耐え、家へと戻り一人になれば
のたうちまわり泣き叫ぶ、そんな地獄の日々。
 それでも、彼女は立ち向かった。大切な、命より大切な人たちのために。
 暗殺者として働いていた頃、自分には暗闇しかなかった。空虚な世界だけが広がっていた。
そんな世界を光で満たしてくれた、可笑しくて、優しくて、愛しい愛しい大切な人たち。
 あんな暗闇も、こんな痛みも、あの人たちにはほんの一欠片たりとも味わわせたくない。だからー
 「ごめんねマウ…皆をだましてでも、あたしは戦うよ…たった一人で!」

 腐食した大地に降り立ったジャッキーは、それと対峙した。ただ正視するだけで、絶望が心を支配していくのを
ジャッキーは感じていた。
 「ま、いつものことだよね…行くよ!」
 震える心を、身体を叱咤し、ジャッキーは戦いへと歩を進める。
 光を守るために、絶望をその身に受ける。そのための、戦いへと…
 





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