「それでは陛下、おやすみなさいませ」
 「ええ、おやすみなさい、シエラ」
 やや広めの部屋の中央に置かれた、天蓋付の豪奢な寝台。そこに腰をかけていたのは
オレンジ色の髪をした、気品あふれる女性だった。その正面に立ち、恭しく礼をしたのは
青い髪の女。こちらもまた美しくとても理知的に見える。
 それは主たる聖女王の就寝に際し、一の側近たる聖女騎士団長が挨拶を述べる、毎夜の
風景。そうして挨拶を終え、青い髪の女、シエラ・レンスターは聖女王の寝室を辞す。
そして大きな扉を開けて廊下へと至ると、そこへ一人の少女が走り寄って来た。
 「シエラ先生!」
 真っ赤なタテガミ、もとい、髪を振り乱して駆けて来たのは、シエラの従卒、マウナキアだ。
聖女騎士の従卒は、神学校の学生とは違い、騎士の雑用などをこなしながら実地で様々なことを
学んでいく。しかしまだ正式な騎士でないため、団長の従卒といえど聖女王の寝室には入室が
許されていなかった。それゆえ彼女は部屋の外でシエラが出てくるのを待っていたのだった。
 「もう、マウったら…神殿内ではしゃいではダメよ」
 まるで母親に駆け寄る子供のような満面の笑顔のマウナキアを見て、苦笑しつつも
それがまんざらでもなさそうに笑顔になるシエラ。知らないものが見れば、二人は
本当の親子のように見えたかもしれない。
 「フィーは?」
 いつもなら同じように走りよってくるはずのもう一人の従卒、リフィルの姿がないことに
気づき、マウナキアに尋ねた。
 「あー、あいつ今日の料理当番だから、先に帰ったよ」
 聖女騎士は、皆このぺラティ聖神殿の中にある、聖女騎士街と呼ばれる一角(神殿内といっても、
この街だけでも実際に中程度の町ほどの規模がある)に各自家を与えられて住んでいた。団長である
シエラも同じくで、彼女はマウナキア、リフィルと3人で暮らしていた。基本的に家事は3人で
当番を分担して行っていた。
 「あ、そう…今日はフィーだったわね…」 
 シエラは笑いながらもちょっと困ったような、微妙な表情をする。
 「ったく、フィーったら。いい加減もうちょっと上手くなってほしいよねぇ…」
 「もう、そんなこと言わないの。少しづつだけどちゃんと上手くなってるわ」
 リフィルの料理の味は、破壊的であることで仲間内では有名だった。それを一口食しただけで
生死の境をさまよった者もいるとの噂があるほどである。
 しかし、少しでも上達できるように、とシエラはそんなリフィルを決して食事の当番から外すことは
なかった。マウナキアもまた、ぶつぶつ文句を言いながらもそれに付き合っていた。
そこには、愛情があった。互いを想う心があった。3人は、血のつながりこそなかったものの、
確かな絆で繋がった、本物の”家族”であったのだ。

 互いの愛情を、微塵も疑うことはなかった。そして、それが永遠のものだということも。


 それが、こんなにも…

 こんなにも簡単に、壊れて、しまうなんて…





 ――――これがどれだけ愚かで、間違った、聖女騎士にあるまじき選択なのか、よくわかっているわ…
私の任務は、誰を犠牲にしてもこの国を、この国の人々を守ること…それでも私にはこうするしかないの。
私には、自分の命や…この世界の全てでさえ、あなたたちには代えられないもの――――
              
      ―――『聖女王国史』 第28巻 「聖女騎士列伝」 叛逆の騎士の章・シエラ伝より―――




 その後ほどなくして、シエラは二人の前からいなくなった。
 戦いに敗れ、捕らわれの身となった二人の命を助けるために、自らの意思で敵の手に落ちたのだ。
彼女の力なら間違いなく敵を倒すことが出来ただろう。だが、そのときは二人の命はなかったはずだ。
彼女は、聖女王を、パルミラを、そしてこの世界全てを守るという任務よりも、最愛の子供たちの命を
選んだのだった。
 そして、それから数ヶ月…捕らわれのシエラの救出もままならぬまま鬱々とした時を過ごすマウナキアの前に、
突如として彼女が現れた。しかしそれは…マウナキアの愛した”先生”ではなかった。

 「お久しぶりねぇマウ。早速で悪いけどぉん…死んでちょうだいねぇん…」
 かつて真の聖女とさえ呼ばれた気高さも慈愛もそこにはひとかけらもなく、誰もが嫌悪を抱くような
いやらしく下卑た笑みを浮かべるその”かつてシエラだったもの”は、ほんのわずかの躊躇もなく
マウナキアを殺しにかかってきた。そのときは危機一髪のところを母エリーゼによって救われたものの、
もしそうでなければ間違いなくシエラは自分を殺しただろう。そのことが、彼女には信じられなかった。
衝撃だった。世界が足元から崩れ落ちていくような、そんな感覚を覚えた。

 「やっぱりここにいたのねぇ、マウ」
 マウナキアは、辛いこと、泣きたいことがあると、必ず行く場所があった。そこは聖神殿から少し離れた
ところにある小高い丘で、彼女はそこでしばらく泣いてすっきりし、頑張る力を得ていた。
しかし、今は毎日のようにここへ来て泣いているのに、少しも元気になれない。逆に涙とともに
戦う力が抜けていくようにすら感じる。そんなときに、また突然に彼女の悲しみの元凶が姿を現した。
 「先生…!?」
 「あんたってほんと、ダメな子ねぇ。相変わらず泣いてばっかりで。そんなんじゃ●×@の&%$#以下ね。
アッハハハハハ…!」
  両の胸や秘部を露出させ、身体にピッタリと密着する、黒光る卑猥な装束。それに加え、体のいたる
ところを締め付ける有刺鉄線のトゲがその白い肢体を切り裂いて幾筋もの赤い線を引いていく様は、異常な
光景ではあるものの奇妙な艶かしさを持ち、見る者の目を惹かずにはおかなかった。だが、純粋に
彼女を慕うマウナキアにとって、彼女のそのような変わり果てた姿を見ることは拷問にも等しい地獄だった。
そして、その唇から灯される数々の卑猥で邪悪、そして殺意のこもった言葉を聞くたびに胸が張り裂ける
思いがする。
 「ま、そんなことはどうでもいいのよ…それよりもぉん…」
 シエラは拳に魔力を集めると腰を落として足を開き、左手を前に突き出し右手を引いて攻撃体勢をとった。
 「あんたを殺せば、エルムガンド様にたくさんお仕置きしていただけるのですもの…ああ…ゾクゾクするわぁ」
 シエラは舌なめずりしながらとても下品な表情と声色でそのように汚らわしい言葉を放った。
エルムガンドとは、シエラを連れ去った者の名である。不死王エルムガンド。それは十二神王の一人である。
 彼はその名の通り不死の肉体を持っている。さらに、ただ一人だけ呪いにより他者を不死にすることもできる。
 囚われの身となったシエラは彼によって不死の呪いを、そしてそれにより可能となる一切の手加減もただ一瞬の
休息もない凄惨な責め苦を数ヶ月にもわたって与え続けられ、精神を完全に崩壊させられた。そしてその上で
新たなる価値観を”上書き”されたのだ。それはすなわち、エルムガンドこそが彼女にとって唯一絶対の
存在であり、彼によってもたらされる苦痛のみが至上の快楽である、というものだ。今の彼女は心の底から
エルムガンドを崇拝し、愛し、彼が与えてくれる快楽のことしかまるで頭にはない、まさに”性奴”としか
呼べないものに成り果てていた。今の彼女にとっては、かつてどれほど愛した者であろうとも、もはや
塵あくたと何ら変わらぬ無価値なものに過ぎなくなっていた。マウナキアを狙うのも、彼女に対して執着が
あるといったことではなく、ただそうすればエルムガンドが激烈な苦痛、すなわち快楽を彼女に与えることを
約束したからに過ぎない。かつては自分の命を投げ打ってでも助けようとしたマウナキアさえ、今のシエラには
ゴミも同然だった。
 「お仕置き…?何言ってんの、先生…?それであたしを殺すって…何で…?」
 マウナキアはシエラの言っていることのほとんどを理解できなかった。内容が支離滅裂だったことも
あるが、もはや完全に思考が停止していたのだ。何も聴きたくなかった。何も考えたくなかった。
お願いだから、悪い夢は早く覚めて…
  「ったく、早く構えなさいな。本当に愚図よね、あんたって」
 興味のない人間に待たされることくらいイライラすることはない、とでも言うかのようにシエラは
うんざりしているのがはっきりとわかる口調で言い捨て、蔑んだ瞳でマウナキアを睨みつけた。
 「あんたみたいなクズでも、本気でやればあたしに傷くらいつけられるでしょぉん?お願いだから、せめて
少しはあたしを気持ちよくさせて頂戴ねぇん…」
 淫らな声を発して自らの指を舐めると、彼女は我慢できないとばかりにさらに自らの乳首と秘部を
まさぐりはじめた。しかしすぐに飽きてやめてしまった。
 「やっぱり…こんなんじゃダメねぇ。あたしを感じさせてくれるのは…脳髄を貫くような、烈しい痛みだけ…」
 シエラは自分の両腕で自分の身体を抱き、震えながら仰け反らせた。目くるめく快楽をでも想像しているので
あろうか。
  「さあ、マウ…その剣であたしを傷つけて…この肉を切り裂いて。この肌をもっともっと紅く染めて…そして…」
 シエラの叫び声が次第に大きくなっていく。
 「あたしを殺して!!この不死の呪いに蝕まれた身体を、何度でも、そう、何度…」
 「もうやめて!!」
 シエラの昂ぶりはマウナキアの悲痛な叫びによって妨げられた。誰よりも愛し、慕っている人の口から、
これ以上穢れた言葉を聞くのは耐えられなかった。
 「…ちっ。やかましいガキね。一気に冷めちまったじゃないの。…もういいわ」
 シエラは憎々しげにマウナキアを睨みつけると、再び先ほどと同じ構えをとった。それに対し、マウナキアも
腰の刀≪獅子丸≫を抜き放ち、そして苦悩を振り払うように大声で叫んだ。
 「イクイップ!!」
 その瞬間、紅蓮の炎がマウナキアの全身を包みこみ、赤く輝く衣へと姿を変えた。
 かつてマウナキアの母エリーゼたち”伝説の騎士”が戦闘時に使用していたのは”魔導金属ミスリル”、それが
変成し”ミスリルメイル”となりその肉体を守った。対して現在マウナキアたち新生クロスナイツが使用しているのは
ミスリルに、3年前落下してきた隕石に含まれていた謎の物質とをかけ合わせて作り出したもので、名を
”神鉄オレイカルコス”といった。それにより生み出される鎧は神の盾を意味する”アイギス”と名づけられた。
 ”アイギス”の性能はかつての”ミスリルメイル”の数倍高く、それでまだ未熟なマウナキアやリフィルでも何とか
十二神王率いる邪悪なる神々の軍と戦うことが出来ていた。
 「アイギスね…」
 シエラは変身したマウナキアを冷たく鼻で笑った。
 「わかってると思うけど、それはあたしが作ったものよ。だからこそ今よくわかるわ。そんなものでエルムガンド様や
他の十二神王の方々に挑むなんて、何てあたしは愚かで矮小だったんでしょうねぇ…」
 「もういい!それ以上先生の口からそんな言葉聞きたくない!!」
 マウナキアは剣を下げ居合いの構えを取った。
 「あたしが、先生を…取り戻す!!」
 言い終わるか終わらないかのうちにマウナキアはシエラに向かい走り出した。だがその速度は尋常ではなく、
常人には全く目にも映らないほどのとてつもない速さだった。
 マウナキアの魔力のタイプはパワー及びスピードタイプである。それだけなら特に珍しいわけでもないのだが、
彼女の場合、この二つだけが異常に突出しすぎていた。これだけを見れば、まだまだ発展途上な現在でも師である
”伝説の騎士”の一人シエラにも引けを取らないほどなのだ。だがこういう場合、往々にしてその他の能力が逆に異常に低いと
いうことが起こりがちで、彼女もまたご他聞に漏れず防御や回復の能力が並の聖女騎士以下という状況だった。故に彼女の場合、
他の者たちと違い相手の攻撃を受けることは即、死に繋がることもあり得るのだ。そんな彼女の戦い方は必然的に
「先手必勝、一撃必倒」となる。それで倒せない場合は、得意のスピードで敵の全ての攻撃をかわしつつ自分の攻撃を当てていく
ヒット&アウェイで戦う以外にはない。
 「はあっ!!」
 マウナキアは超スピードでシエラに近づき、彼女が自らの間合いに入った瞬間に居合いを放った。これこそがまさに彼女の
戦闘スタイルを体現する技だった。
 「わかっていると思うけどぉ…」
 「えっ…!?」
 殺すことが目的ではないので急所は狙わなかったものの、本気で放った一撃である。確実に相手に深手を負わせるはずだった。
だが居合いを放った次の瞬間、マウナキアは手ごたえのなさと、左肩に凄まじい痛みを感じた。
 「あ、ああっ…!」
 痛む左肩を見れば、外れている。肩が外れて左腕が力なく垂れ下がっている。そしてその先には…シエラがいた。
 「居合いは一撃必殺…当たれば相手が、そして外せば自分がね。ククク…」
 「し、しまっ…!!」
 必殺の一撃はかわされ、相手の攻撃を受けた。更にいまだ相手の間合いの中にいる。このままでは…待つのは死だ。
マウナキアは必死に後ろへ下がろうとしたが、シエラの攻撃の方が一歩早かった。魔力を込めた右手の掌底がマウナキアの
腹部に触れた。
 「はい。お〜しまい」
 「あ…っ!」
 爆発した。体の中から凄まじいエネルギーが放出されていくのをはっきりと感じた。次の瞬間、アイギスの腹部は焼け焦げて
破れ、口や鼻からおびただしい量の血液が、そして全身から全ての力が流れ出た。
  「ったく、教えたじゃないのぉ…あんたは攻撃はバカみたいに強いけど防御がゴミ以下だから、相手の攻撃を受けちゃ
ダメだって。ほんっとに、出来の悪い弟子だこと。ほらぁ、起きなさいよぉ、クズ弟子」
 「げ…ふ…っ!ごぽっ…あ、ぐううっ!!あ……っっ!!!」
 倒れ臥すマウナキアをシエラは背後に立って無理矢理起こすと、そのヘルムを強引に剥ぎ取った。恐らくかなり内蔵を
損傷しているはずの状態でその様に乱暴に扱われたマウナキアは、あまりの激痛に声にならぬ叫びを上げる。
 「あっ…ああーーーーーーーっ!!」
 どこで拾ってきたのか、先端を尖らせた鉄の棒をマウナキアの太ももに突き刺すシエラ。そしてそのまま執拗にグリグリと
棒を回したり抜いてはまた刺したり、何度も何度もそれを繰り返した。さらには、外れた左肩を力いっぱい握り締め、
ぶら下がる腕をゆすり続けた。想像を絶する痛みに、内臓の損傷も忘れて激しくもがいて逃れようとする。その動作が
また損傷を大きなものにしていく。


 

 そのかつての愛弟子の苦しみもがく様を見て、興奮でもするのかと思いきや、シエラは冷たくため息をついた。
 「はあ、ダメねぇ、やっぱり。あんたをいたぶってやったら、”心の痛み”ってやつが出てきてきっと気持ちよくなれるって
思ったのにぃ…。全然ダメねぇ。何も…」
 そこまで言うとシエラは冷笑しながら、苦しむマウナキアの頬を舐めた。 
 「全く、何も感じないわぁ。やっぱりもうあたしにとってあんたは…ただのゴミクズね。ククク、ハハハ…
アーーーーーーッハッハッハ!!!!!」
 「せん…せ…ぇ…」
 誰より彼女を愛する者にとってあまりに残酷なその言葉に、マウナキアは打ちのめされた。瀕死の重傷であるはずの
体の痛みなど何も感じなくなるほどに、心がズタズタに引き裂かれた痛みが彼女の全てを支配した。
 「やだよ…思い出してよ、あたしたち、ずっと…思い出だって、一杯…」
 「思い出すって何をぉ?あたしはあんたとフィーと一緒にすごした時間のこと、何一つだって忘れてやしないわよぉ?
 その上で言ってるのよぉ。何て…何っっって……」
 憐れむような、蔑むような表情でシエラはマウナキアを見下した。そして、更に酷薄に言い放つ。
 「何て意味のない、下らない、クズみたいな無駄な時間だったのかしら…。本当に、自分が恥ずかしくなるくらいだわぁ」
 「そん…な…」
 もはやマウナキアには振り絞るだけのわずかな力すら残っていなかった。それは、完全なる絶望。母から受け継ぎ、師により
鍛えられた、どんな困難にも決してくじけない強い心は、その愛する師によって粉々に打ち砕かれたのだ。
 「がっ…」
 叫ぶ力すらなく、ただ弱々しく泣きじゃくるだけになったマウナキアを見て、さもつまらなさそうに、シエラは乱暴に
彼女をその場にうち捨てた。
 「あんたを殺せば最高のお仕置きが待ってるんだけどぉ…今日はやめとくわぁ。楽しみは後で取っておきましょう。
焦らされるのもなかなかイイものよぉ」
 ただなくだけの人形と化したマウナキアの顔を踏みつけながら、愛するエルムガンドのことを想い恍惚の表情をする
シエラ。それに飽きると、彼女は去り際に臥せるマウナキアを蹴り飛ばした。
 「げふっ…が…はっ…」
 「お願いだから、次はもっと強くなってあたしに快感を与えてちょうだいね。今のままじゃあんたには殺す価値すら
ないんだもの。つまんなくて涙出てくるわぁ。じゃあねぇ、また殺しに来るわぁ、ゴミクズちゃん」
 「シ…エ…せん…せ…」
 マウナキアの意識はそこで途切れた。


 それからすぐに倒れているところを発見され、瀕死のマウナキアは一命を取り留めた。しかし、その心は完全に
死んでいた。彼女が戦う力を取り戻すためにはまだしばしの時間を要することになるが、それはまた別の話…。
 
 





戻る