「あっ、目を覚まされたんですね!良かった…」
 目の前には心配顔で私を眺める小柄な少女が座っていた。髪は私と同じ青色で、でも
彼女のはとってもまっすぐで綺麗なのだ。うう、何だってこんなにくせっ毛なんだろ私の髪…。
 「んん…シエラ…ええと、ここは…」
 あたりを見回してみてすぐに思い当たった。そこは聖女騎士団本部の医務室だ。
総勢4600名(聖女騎士団は第2〜第10騎士隊までが各500、私たち第1騎士隊が
100名という構成になっている)を一度に収容できる本部は非常に大きな建物になっていて、
この医務室もそれなりに広々としている。しかしながら普段はそれほど人がいるわけではない
ので、その広さが逆に少し寂しいという印象を見る者に与えていた。
 聖女騎士団本部があるのは、王都カナンの中心部、このパルミラの政治と宗教の中心たる
ぺラティ聖神殿のとてつもなく広大な(ここだけで軽く小さな地方都市くらいの面積はある)
敷地内の、その更に中心である聖女王殿を守護するように建っている。聖女王殿は小高い丘の
てっぺんにあって、その丘の周りには壁が張り巡らされ、その入口に聖女騎士団本部が
建てられているわけで、これは緊急時に最後の砦として聖女王殿を守ることができるように
なっているのだ。ついでだから説明しておくと、丘の周辺は広場になっていて、様々な官庁の
建物やら裁判所やら政治犯を収容するための塔やら王立学問所やら、まさに政府中枢といった
感じのものが目白押しとなっている。そして更に、そこから聖神殿の外壁まで、聖女騎士街と
呼ばれる、私たち聖女騎士団員およびその家族が住まう家々が立ち並び、それにあわせて
様々な店もあって、その名の通り本当に街のようになっている。
 私たち聖女騎士団の勤務地は基本的に聖神殿内で、それぞれ隊ごとに守護する場所が決まって
いる。私たち第1騎士隊は当然聖女王陛下のおわします聖女王殿なわけで、私たちの家には
聖女騎士街でも聖神殿の中心部に一番近い場所が与えられている。といってもやっぱり相当
距離があるので、聖神殿と家との移動は神竜を使う。聖神殿内は神竜専用の道路が整備されて
おり、彼らは陸上生物最速というだけあって、その方法ならそれほど時間はかからないのだ。
何ていうか…聖女王殿の中に部屋でも作ってくれたら早いんだけどなぁとは思うが。
ま、4600人もいるから無理か。
 「セシルとジャミルは…あ、まだ寝てるのね」
 私はゆっくりと身体を起こして周りをもう一度見回すと、横のベッドにまだ目を覚まさない
二人を見つけた。
 「全く…ひどい目にあったもんだわ…」
 私は自分の肩を抱いてちょっと身震いした。思い出しただけでも寒気がする。
 「3人ともひどい傷でしたからね…おかげでゼノビアちゃんが今疲れて倒れちゃってますよ」
 いつも私たち3人だけに戦わせてもうしわけないからと、ゼノビア陛下はそのお力をいつも
惜しみなく使ってくださる。だからあんまりひどい怪我だと私たちを治すかわりにご自分が
倒れられてしまうので、それはそれで困ってしまう。
 ところで、陛下をゼノビアちゃん呼ばわりする目の前の少女の名は、シエラ・グランベルと
いう。彼女はエーヴェル団長の従卒(スクワイヤ)である。従卒というのは、まあ簡単に言うと
弟子みたいなものだ。騎士の身の回りの世話や雑用などをこなしながら、実地で様々なことを
学んでいく。聖女騎士団に入る方法には2つあって、ひとつは私たちがそうだったように
養成機関である神学校の騎士科(これはパルミラ全国でも5箇所しかない)を卒業するか、
または彼女のように騎士の従卒になるかである。ちなみに従卒を持てる騎士というのは副隊長
以上と決まっている。私にはいないけどね。
 シエラは幼い頃強盗事件に巻き込まれて両親を失ったそうだ。ちょうどそのときその場を
通りかかった、当時聖女騎士団に入団したばかりだったエーヴェル団長によって犯人は取り押さえ
られたのだが、シエラには全く身寄りがないというので、自分が引き取って育てることにした
ということだ。聖女騎士は修道女でもあるので、そういう孤児を引き取って育てるケースは割合
多い。私とセシルの恩師で、ジャミルの養母であるクレスティア先生もそうだ。まあ、
そうでなくても団長は幼い頃に母親に捨てられ、父親も事故で亡くしたという話だから、余計に
自分と同じような境遇の少女を放っては置けなかったのだろう。
 ここで興味をもたれた方もあるかもしれないのでもう少し団長について述べておこう。団長の
お母さんのことは本人も覚えていないと言っているので知らないが、お父さんについては、実は
かなりの有名人だった人だ。その人はデルムッド・レンスターといって、かつて錬金学において
天才と呼ばれた学者だった。しかしながら、その人は団長が8歳のとき、実験中の事故で
不幸にも命を落としてしまったという。その場には団長もいて、彼女の左目の傷はそのときに
負ったものだ。その事故によって身寄りをなくした団長は、その後思いもよらない運命をたどる
ことになる。何と、レンスター博士と親交の深かったというあるお方が団長を引き取ってくれのだ。
その人の名は…イシュタル・ディエル・ディグリーズ。そう、それはゼノビア陛下のお母上であり、
つまりは先代の聖女王であらせられたお方なのだ。だから、団長はゼノビア陛下とは姉妹のような
関係なのである。そして、もうお一人…今は魔女王として私たちと敵対している、クレオ王女とも。
 ところで、ゼノビア陛下とシエラとは、年齢が同じである。どちらも今年で14になる。王女と
いうことで年の近いご友人もほとんどおられない陛下にとっては、シエラはとても大切な友達で
あるわけで、だからご自分のことを「ちゃん」づけで呼ばせている。陛下などと言ったら怒り出す
のだ。あまり気が強いほうではないシエラは、たかが平民の自分が聖女王陛下ともあろうお方を
そのように呼ぶなど、畏れ多いと多少気が引けているようだが。
 ゼノビア陛下はエーヴェル団長にとっては妹のような存在であり、シエラはその陛下と同い年と
いうわけだから、団長はシエラもまた妹のようなものだと思っているようであるが、当のシエラは
団長を母親だと思っているようだ。シエラはだから「母さま」と呼びたいようなのだが、そんな風に
呼ぶと「そんな歳じゃない」と団長が烈火のごとく怒り出すので、気があんまり大きくない彼女は
仕方なく「エーヴェルさま」と呼んでいる。団長にしてみれば、他人みたいで嫌なので「姉さま」と
呼んで欲しいらしいのだが…。何ともややこしい限りだ。
 「あ、私エーヴェルさまをお呼びしてきますね。今回のこと、色々聞きたいとおっしゃって
ましたから」
 そそくさと立ち去るその後姿は、小さくてとてもかわいらしい。いいなぁ…小さい頃は、妹が
欲しいと思っていたっけ。残念ながら私の兄弟はくそ生意気な弟ただ一人だが。まあそんなことは
さておき、彼女はその見た目のかわいらしさだけでなく、ちょっと気の弱いところとか、いつも
甲斐甲斐しく働く姿などから、団員からとてもかわいがられている。マスコット的存在と言っていい。
私やジャミルの前以外では基本的に無表情なセシルですら、彼女を前にすると微笑を禁じえない
ようだ。
 シエラが立ち去ったあと、特にすることもない私は、横で寝ている二人の顔をしばしまじまじと
眺めてみた。
 セシルは…何と言うか、とても整った顔立ちをしているなぁ…。女の私から見ても思わずうっとり
してしまいそうだ。さすがに超のつくお嬢様となると、見た目も私のような庶民とは違うのだなぁ…。
髪だってまっすぐでとっても綺麗だし…何だか女神さまの不公平を感じてしまうが、修道女が
そんなことを言ってはいけないよね。
 ジャミルは…ちょっとまだ幼さの残る顔だが、これはこれでとても綺麗な顔だ。くそう。同じ
庶民なのにこんなかわいいなんて、やっぱり女神さまは不公平だと思う。ま、私と同じくらいか 
それ以上のくせっ毛なのが唯一の救いか。
 しかしながら、この二人に挟まれている私の何と地味なことか。はあ…胸だってこんな小っちゃい
し…
 でも…
 でも、私はこの二人と一緒にいられて、本当に幸せだと思っている。二人は、いつだってこんな
私なんかのために、一生懸命になってくれる。二人がいるから、私は前に進んでいける。
 そう考えたら…女神さまは決して不公平なんかじゃないのかもね。
 今回のことでは、2人には教えられた。皆の役に立てるなら、自分なんか死んだっていいなんて
思っていたけど(でも怖いからいやなのはいやだけど)、私のとって二人が自分の命よりも大切な
ものであるように、二人にとっても、嬉しいことに私はそういう存在なのだ。だから、二人のことを
大切に思うなら、私は絶対に自分の命を粗末にするようなことはしてはいけないんだ。何があっても、
最後まで戦い抜く。絶対に生き抜く。それが、私に必要な覚悟のあり方だったんだ。
 だから、絶対に、3人で最後までいこう。そして、勝とう。
 約束だよ、二人とも。
 あと、それから…
 それから…
 …
 ありがとう。
 これからも、よろしくね…。
 










 「たっだいま〜っ☆」
 私がいつもの様に剣の稽古をしていると、今では聞きなれたあの鬱陶しい嬌声が背後から
響き渡ってきた。
 ここは、魔女王国イサドラの中枢である、リゲルの塔。場所については、勿論秘密だ。
 申し遅れたが、私の名はパメラ・カダイン。元は聖女騎士団員であったが、今はわけあって
それと敵対するこのイサドラに属している。
 私はいやいやながらも背後を振り返り、恭しく礼をした。
 「お帰りなさいませ、マリー様」
 私は顔を上げて彼女を見た。すると、信じがたいものが私の目に飛び込んできた。
 ない。
 心臓が、ない。ぽっかりと穴が空いて、真っ赤な血がだらだらと止め処もなく流れ落ちている。
 「マリー様…そのお怪我は?」
 「ああこれっ?ちょっと油断しちゃってねぇん♪」
 ちょっととかいうレベルではないと思うが…。
 「この身体、もう限界みたいだから、取替えに”豚小屋”まで行って来るねぇん☆」
 豚小屋とは、地下にある牢獄のことだ。そこにいるのは、国中から拉致してきた若い修道女
たちである。奴は亡霊であるが故、肉体を持たない。しかしながら、ある方法を使えば、生きた
人間の肉体を乗っ取れるらしい。奴は恐ろしいことに、どのような人間の肉体を使おうと、
生前の奴の肉体と全く同じ状態に変化させることができるらしいのだ。とはいえ、やはり
肉体によって使い勝手というのがあるらしく、女、特に魔力の高い者がよりなじみやすいと
いうので、奴自ら国中の修道女(修行によって常人よりは魔力が高いのだ)をさらって地下に
監禁しているのだ。肉体のストックとして。
 吐き気がする。汚らわしい。このような者にひざまづかねばならんとは、何と言う屈辱だろう。
 「あ、それから」
 後ろ向きで首を180度後ろに向けて、奴は私を見た。化け物め…。
 「他の二人を呼んどいてっ☆」 
 それだけ言い残すと奴は飛び跳ねながら走り去っていった。床は一面血の海だ。亡霊ゆえ、
乗っ取っている肉体が滅びようと無理やり動かすことができるようだ。まるでゾンビだな…。
本来のゾンビのイメージとは全く違って楽しげなのが、余計不気味だ。
 「他の二人…か」
 他の二人とは、私を含めたこのイサドラの幹部のうちの他の二人ということだ。
”黒の騎士(カヴァリエ・ド・ノワール)”、それが我ら三人に与えられた名である。 
 しばらくして地下から女の悲鳴が聞こえてきた。一体どうやって乗っ取っているのかは
私にもわからないが、あまりいい気分はしない。あんなものと戦うなど、御免蒙りたい。
エリーゼたちには心の底から同情を禁じえない。

 「マリー様、”黒の騎士”、仰せにより参上いたしました」
 新たな肉体を手に入れて、とても上機嫌らしいマリーの前にひざまづく、私と残り二人。
この残り二人というのも、はっきり言えば同じ空気を吸うことすら汚らわしい者たちだ。
 私の左手にいる赤毛で大柄の女は、バルバレラ・ヴェルトマーという。元聖女騎士だったが、
かつてその当時の団長の娘に手をつけて逃亡、以後は女のくせに女ばかりを強姦して挙句に
殺害するという残忍な手口を繰り返した殺人鬼で、生死を問わないという最上級の指名手配が
かけられているS級犯罪者だ。
 右手にいるのは、マルカ・フリージ。非常に明晰な頭脳の持ち主で、これまで数々の犯罪を裏で
手引きしたとされている。要するに、あまり自分で手を汚さない、そういういやらしい女だ。
その服装もこれまたいやらしい。下半身は太ももむき出しの短い革スカート、それはまだいいが
上半身となると…長い白衣の下は、何も着ていない。何も、だ。異常なまでに豊満な胸が、
乳首のあたりまでは白衣で隠されているがあとは露になっている。露出狂か?
 「揃ったねっ☆じゃあ早速だけど、命令っ♪」
 そこでびしっと人差し指を私たちのほうへ向ける。忌々しいことに、奴は元帥という立場である
ので、私たちに命令する権限がある。いや、そもそも魔女王は滅多にその姿を現すことはなく、
実質的にはこのイサドラはこのマリーが動かしているといっても過言ではない。
 「あの子たちに、皆で挨拶してらっしゃいっ☆」
 「挨拶…ですか?」
 いぶかしげにバルバレラが問いただす。
 「そ〜よ〜。だって、あんなに面白い玩具、粉々に壊れるまで遊び倒さないともったいない
じゃないっ☆」
 最後には、突然私ですら思わず震えるような恐ろしい声を放ったマリー。やはり…こいつは
敵には回したくないものだ。
 「だ・か・ら、殺しちゃダメよ〜ん♪」
 「了解しました」
 私は素直にそう答える。私の目的にとって、それは寧ろ好都合だ。
 私は…他の者達とは違う。好きでここにいるわけではない。
 私は、スパイだ。このイサドラの動向を探るためにここにいる。
 だが…
 「嬉しそうね、パメラちゃん☆」
 私は、笑っていた。私が忌み嫌う、この二人と何ら変わらない、下卑た笑みをその顔に
浮かべていた。
 いつからだ。いつからこうなった。 
 いつの間にか、私は…抑えきれなくなっていた。自分の心を。その欲望を。
 私の欲望とは、唯一つ。
 エリーゼを、この手で汚すこと…。
 心がうち震える。ついにそのときが来たと。どれほどに抑えようとしても、本来の任務を全う
しようとしても、震えが止まらない。歓喜を、湧き上がる愉悦を、抑えることができない。
 スパイのつもりだった。そのはずだった。しかし、すでに私は、戻れない。どれほど抗おうとも、
もう私はこちら側の人間になってしまっているのだ。これが…これが、ダークマターの力なのか。
 エリーゼは、数多くいた私を慕ってくれる後輩たちの中でも、特に私に憧れてくれていた娘だった。
私も、そんな彼女をとてもかわいがってよく面倒をみてやっていた。
 だがあるとき、私は彼女の中に眠るとてつもない才能に気がついた。私には、わかった。
この娘は…いつか、私をも、「パルミラ開闢以来の天才」とさえ呼ばれるエーヴェルをすら
超えるであろうことを。
 そのときから、彼女への愛情は嫉妬や憎悪へとすり替わって行った。少しづつ、だが確実に。
そんな感情など、わたしはかつて持ったことがなかった。あの娘のせいで、私はそんなどす黒い
感情を持たなくてはならなくなった。 
 逆恨みだ。そんなことはわかっている。わかっているが、それでも、私には彼女が憎かった。
この手で汚してやりたいと思った。そんなとき、今は魔女王となったクレオ王女に誘われたのだ。
ともにこの国を滅ぼして新しい世界を築こうと。人が欲望のまま生きることのできる楽園を、と。
 私は、その誘いに乗った。勿論心からではない。例え憎しみに支配されようと、聖女騎士としての
誇りだけは失ってはいなかった。この国にあだなす者は、何人たりとも許してはおかぬ。だから、
これを利用せぬ手はない、と思った。敵の懐に飛び込んで、内部から破壊、とはいかないまでも
情報くらいは手に入れられるはずだ。そんなことを考えていた。…そのときは。
 だがもう…そんなことは、どうでも良くなっていた。このパルミラも、それを滅ぼして築くという
楽園とやらも、もう私には何の興味もありはしない。
 今の私の心には、エリーゼ…あなたしか、いない。ふふ…何だかまるで、愛しい人に恋焦がれる
女のようだわね…
 早く、あなたに会いたい…会って、そして、そして…
 あなたにも、植え付けてあげる。私のこの…黒い感情を。
 「わかってるね…それぞれ獲物は一人ずつ、他の奴に手ぇ出すんじゃないよ!」
 「それはあなたじゃなくって、バルバレラさん?」
 バルバレラとマルカのやり取りが聞こえて、私は我に帰る。
 「下らないお喋りはそこまでだ…行くぞ!」
 私は身を翻すと、そのまま後ろを振り返ることなく歩を進めた。
 そうだ。私は振り返らない。 
 前に進むのみ。
 ただ、欲望のままに! 



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